医学教育の在り方とは

医療従事者へのインタビューや最新医療などをご紹介する「医療最前線」第5回目は、東大名誉教授で、地域医療振興協会のシニアアドバイザーを務める北村聖先生にインタビュー。国内外で主に医学教育の分野で活躍されている先生に、医学教育の現状と将来について伺いました。

医学教育の在り方とは

―本日は「日本の医学教育」をテーマにお話をお聞きしたいと思います。北村先生のご経歴を拝見すると、東京大学の医学部を卒業後、内科をご専門に国内外で学ばれ、地域医療についてもさまざまな活動をされているそうですね。現在の主なご活動内容について伺えますでしょうか。 


2019年から地域医療振興協会のシニアアドバイザーとして教育のお手伝いをしているのですが、まずは私自身のお話をさせていただきますね。大学を卒業してから第3内科に所属し、血液学を専門に診療したり、免疫学の研究を行っていました。その後、ひょんなことから検査部の講師に任命していただきました。



検査部の講義の中で、「Reversed CPC」
という教育法があり、一般的に患者さんの病歴と症状を聞いたうえで検査をして診断するのがCPC(Clinico – Pathological Conference臨床病理検討)ですが、R-CPCでは検査データを先に見て、「この患者さんは男でしょうか?女でしょうか?」とか「この患者さんはお酒が好きだと思いますか?飲まないと思いますか?」「この人はどんな訴えで病院に来たんでしょう?」といった質問をします。詳細な臨床情報なしに検査だけでどこまで判断できるか読み解く力を養うという教育法で、学生の授業で行ったら受けが良かったですよ。


―大変興味深いですね。そこから医学教育の分野でも活動するようになったのですね。


はい、その頃から教育に興味を持つようになりました。2000年前後には東大で医学教育専門の分野を作ることになり、2002年にそこの国際協力研究センターの教授になりました。ミッションは「東京大学の医学教育、ひいては日本の医学教育を良くする。そして医学教育で国際協力をする」ということでした。



その最初の取り組みがアフガニスタンでした。カブール医科大学での教育を国際レベルにすべく、医学教育システムを作りました。参加型の臨床実習を取り入れて、病院で半年~1年間働きながら学ぶ教育システムを構築したんです。大学に東大の医学教育研究室を作り、交代で常駐していました。1日に何時間も停電しますし検査も十分にできませんでしたが「限られた検査でどこまでわかるんだろう?聴診器だけでどこまでできるんだろう?」と、現場の環境に合った能力を持った医師を養成するような医学教育を企図しました。


―海外の教育システムを変えるのは簡単なことではないと思います。とても素晴らしい取り組みですね。日本ではどのような医学教育を実施されたのでしょうか。


今では当たり前になりましたが、2004年に新研修医制度といって、大学卒業後2年間、医師になる前に必ず研修医を経験するという制度ができました。また、卒前教育も変わって文部科学省が「コアカリキュラム」という制度を策定しました。実習の期間も大学ごとでバラバラだったのですが、全大学で共通して取り組むべき教育内容、「コア」の部分を体系化しました。私立大学は比較的実習が少ないのですが、臨床教育のメインは「病院で学ぶ」こと、すなわち診療参加型臨床実習と位置づけました。4年生には医学知識を問うCBT(Computer Based Testing)というコンピュータベースの試験と、診療技能および態度を問うOSCE(Objective Structured Clinical Examination)という試験を導入しました。


なかでも医学生や研修医の方には、医療面接が一番衝撃的だったみたいですね。患者さんへの挨拶で「おはようございます。今日診察させていただきます北村です。よろしくお願いします」というのを教えたら、本物の先生方がびっくりして「患者さんに挨拶なんてしたことない」と言うんです。


―確かにあまり自分から名乗る先生にはお会いしたことがないかもしれません…。


OSCEが実施されて15年が経ちましたので、今、40歳以下の先生は結構挨拶されると思いますよ。若い先生は立って目線を合わせて挨拶することもあります。「コミュニケーションの基本は目線の高さを合わせること」と話しているので、実践する人も増えています。そもそも、なぜこのような教育改革が始まったかというとそれまでの医療は「患者第一の医療」というのが口ばかりでパターナリズム化していました。「あなたは痩せなさい。痩せないあなたが悪いんです。痩せないと病気が治りませんよ」。というのが典型的なパターナリズムの言い方です。本来であれば「痩せることが大事ですよね。どうやったら痩せられるか一緒に考えていきましょう?朝ごはんをコントロールしましょうか?お昼は糖分を控えてみましょうか?」といった対等な会話を心掛けるべきです。それを挨拶も含めて教えることが重要ですね。


―「患者優先の医療」というのは、野口医学研究所が掲げているテーマでもありますね。


そうですね。患者中心の医療として改革をしたいと考えました。その中には、診療参加型臨床実習の充実があります。臨床実習は3つに類型化できると思います。まずは見学型。先生が実践している様子を肩越しに学生が見るのですが、本当に見てほしいところを見ていなかったりします(笑)。次いで模擬診療型。学生同士で診療したりエコーをとったり、採血をしてみる実習で、一見できているようですが緊張感がない。失敗も許されるのです。大事なのは診療参加型 臨床実習。本物の患者さんに対して主治医の先生がいて、専門医を目指す専攻医がいて研修医がいて。学生もその一員としてチームが一緒になって考えるということが大切です。


―現場の医療に近い教育で素晴らしいのですが、現在のコロナ禍でもそうした実習はできているのでしょうか。



一部はまだオンラインですが、だいぶ再開しました。本来なら今年から全国で正式実施の予定だったのが、臨床実習後OSCEです。実習前OSCEでは聴診器を当てられればよかったんですけど、実習後は異常かそうでないか、あるいは患者さんの話を聞いて診断を想定し、臨床推論をするという試験をします。今、野口医学研究所で海外派遣の選考で学生や先生方に行っているOSCEはまさにそれなんです。


医学部の定員事情と地域枠

―最近では大学の医学部の定員が変化していますが、その実情について教えてください。


そもそも医学部の定員は、昭和40年代までは3000~4000人でした。医療が高度化したことで医師不足が叫ばれ、田中角栄首相の時代に各県一大学ということで定員が6000~7000人くらいに増えました。でも2000年前後からまた医師不足(特に地方)と言われるようになり、「地域枠」という特別枠を増やして現在9000人になりました。以前は、大半が都心から地方の大学に進学し、医師資格を取得して都心に戻ってしまうケースが多くありました。大学によっては教授も一時的に都心から招いていて、その地域の医療を考えるということが少なかったように思います。それが今では、地域枠を20~30人設置して、卒業後は地元で頑張るという若手医師の育成体制を作り始めました。各大学が県と両輪になって地域の医療を守っているんです。まだ道半ばではありますが、変わりつつありますね。


―医学部を目指すのは、どんな学生が多いのでしょうか。


今は医学部の偏差値がどんどん高くなっていて、理系で成績のいい学生は皆医学部を志望する傾向にあります。昔は大企業に就職すれば一生安泰でしたが、今はそうとも限りません。医師を目指す学生が多いのは、安定と手に職、定年後を考えてのことでしょう。医学部合格の上位は、中学校から6年間の一貫校が占めていて、県立や公立高校出身の方は比較的少ないです。また、ご家族が教育マインドを持っている方が多いですね。


―中学受験から既に相当レベルが高いんでしょうね。そうした学生のコミュニケーション面はいかがでしょうか。


素直でコミュニケーション能力が高い学生が多いんですよ。2000年頃から医学教育改革、入試改革が始まって、偏差値だけで見るのではなく面接試験も始まりました。現在は国立含め82医科大学すべてで面接を行っています。


今後、医学部入試で課題となるのは多様性のある学生の獲得だと思います。Diversity(多様性)のある医師の養成は将来の医療のあり方を考える上で重要だと考えています。高い入院費を払えるセレブもいれば、生活保護を受けている方もいる。アメリカは元々多様性を持っていますが、日本もこれからはさまざまな立場の人がいるということを国民全体でシェアして、多様性のある医者を育てる必要があると思います。


どんな医者が求められるのか

―万人に同じケアをすればいいというものではなく、個々の患者さんに合った医療が求められるわけですね。


理想や今後社会が目指す医療像を持って、それを担う医者を育てるために、どんな入試をするかまで考えなければいけません。卒前はコアカリキュラムで規定されて、だいぶ新しい医学教育が浸透してきました。現在は1年の最初から患者さんに触れる機会を作っています。もちろん医療は行えないので、患者さんの車椅子を押し、大学病院なら待ち時間も長いので横に座って一緒に待ってみることなども行われています。早い段階から患者に触れたり、介護施設に行ったり、僻地や島、山間部に行ってみるといった、さまざまな取り組みを行っています。倫理もそうですが、プロフェッショナリズムとして、行動科学を取り入れることも大切です。


―ただでさえ日進月歩の医学の知識に加えて、さまざまな学びが必要となると、医師になるのはものすごく大変ですね。


そうですね。医学部では自ら学ぶアクティブラーニングが重要です。医学部に入ったことで終わってしまうのではなく、常に勉強する癖をつけなければいけません。2020年に卒業して、2020年の知識でずっと医師をやっていてはいけませんよね。大学も今までのような単位制でなくてOBE(Outcome Based Educatio:学修成果基盤型教育)にシフトしています。単位を取得したからといって、良い医者になれるかというとジグソーパズルのピースを手に入れただけのようなもの。今の考えは、将来なりたい医者をイメージして、それに向かって学修するようになってきています。知識も技術もあって患者さんと意思疎通ができてどんな苦難にも立ち向かっていける。また、チーム医療として看護師や薬剤師、管理栄養士、ソーシャルワーカー、PT(理学療法士)、OT(言語聴覚士)等のコメディカルのメンバーと有機的に機能するチームを作って働ける、といった風に学ぶ必要があります。それを6年間で身に付けて、できるようになったら卒業というイメージですね。それは各大学で徐々に浸透しつつあります。


―最後に改めてお伺いしますが、北村先生はどんな医師を育成していきたいとお考えですか。


コアカリキュラムには9項目が掲げられますが、一番はプロフェッショナリズムです。トーマス・ジェファーソン大学はアメリカでもプロフェッショナリズムの教育で一番の大学なのですが、野口医学研究所のおかげで私も学ばせてもらって、教育に生かしています。同大学が掲げるプロフェッショナリズム、「Empathy(共感)チーム医療Life long learning(生涯学習)」を日本でもどんどん広めて、そのうえで、Diversityのある医師を育成していきたいと思っています。臨床研修や専門医教育、更には地域医療を担う医師の教育などはまたの機会にお話できたらと思います。


【プロフィール】


北村 聖(きたむら きよし) 



1953年12月24日生。地域医療振興協会 シニアアドバイザー。


1978年 3月 東京大学医学部医学科 卒業
1980年 6月 東京大学医学部第3内科(高久史麿教授)入局 血液研究室所属
1982年 3月 東京大学医学部免疫学教室(多田富雄教授)研究生 (1984年3月まで) 
1984年 3月 米国スタンフォード大学医学部腫瘍学教室 (Ronald Levy 教授)ポスドク 1986年まで
1990年 2月 東京大学医学部附属病院検査部 講師
1995年11月 東京大学医学部臨床検査医学講座 助教授/東京大学医学部附属病院検査部 副部長(併任)
2002年 7月 東京大学医学教育国際協力研究センター 教授
2003年 7月 東京大学医学部附属病院総合研修センター センター長(併任)
2013年 4月 東京大学大学院医学系研究科附属 医学教育国際研究センター 教授(組織変更のため)
2017年 4月 国際医療福祉大学医学部長
2019年 4月 (公社)地域振興協会シニアアドバイザー
現在に至る


2014年 3月 第10回ヘルシー・ソサエティ賞 教育学部門 受賞
2018年 7月 日本医学教育学会日野原重明賞 受賞


学会における活動
日本医学教育学会 副理事長
日本血液学会 専門医・評議員、内保連連絡委員
日本臨床検査医学会(旧日本臨床病理学会) 評議員・専門医
第25回日本医学会総会 幹事長 
日本医学雑誌編集者会議(JAMJE)組織委員会 委員長 
社団法人医療系大学間共用試験実施評価機構 理事
財団法人難病医学研究財団 理事
一般社団法人 日本専門医機構 理事