世界に名を轟かせた“野口英世” 彼を冠した財団が誕生

野口医学研究所の取り組みや、最先端の医療に関するさまざまなトピックスを「美健JUMP!」の編集長が独自の切り口で紹介する「医療最前線」。
今回は、オウンドメディアの創刊を記念して、米国財団法人野口医学研究所の創立者・名誉理事 浅野嘉久氏のインタビュー前編をお届けします。

6月某日。鬱屈とした梅雨空の下、東京・虎ノ門の野口医学研究所へと緊張の面持ちで向かうと、颯爽と登場した浅野先生の笑顔で空気は一変。和やかな雰囲気の中、インタビューが始まりました。

世界に名を轟かせた“野口英世” 彼を冠した財団が誕生

―本日はさまざまなテーマでお話を伺いますので、宜しくお願いいたします。
ではまず、野口医学研究所を設立されたきっかけについて教えてください。


話せば長くなりますが、初代理事長の浅倉稔生(あさくら としお)先生との出会いは、昭和38~40年、東大医学部の生化学教室でした。この研究室は後に医学部長になられた私の恩師である吉川春寿(よしかわ はるひさ)先生が島園天皇と崇められていた生化学の大御所から独立する際、第二生化学という名前を嫌い、栄養学教室と命名した教室です。


吉川先生は、新たに研究室員になった私へこう言ったのです。


「浅野君、医者にはね、人など治せないんだよ。医者は人を治すなんてできない…。その人の寿命と生命力に99%頼るしかないんだ。だから西洋医学なんて本当に不確かなものなんだ…」と。


―おぉ…医学部長からそのお言葉とは、衝撃的ですね…


だから吉川先生は教室を「栄養学教室」という名前にしたんでしょうね。私は血液学の研究でヘモグロビンのタンパク質の合成を行っていたのですが、その頃指導教官になってくれた6つ歳上の浅倉先生からの誘いがきっかけで「野口医学研究所」の立ち上げに関わったんですよ。もうその時には、浅倉先生は既にアメリカのペンシルベニア大学小児病院(Children’s Hospital of Philadelphia:以下、CHOP)の教授になっていました。ここは全米でNo.1の小児科なんですよ。



野口英世記念研究センター建設に心血を注いだ浅倉稔生教授と


ペンシルベニア大学(The University of Pennsylvania)には、野口英世博士(以下、敬称略)が2年間実際に研究していた部屋もあったそうです。また、野口英世の蛇毒の研究論文なども図書館に保管されていました。それで、浅倉先生は野口英世を記念とする医学教育&交流財団を創るべく、当時、聖路加国際病院の理事長であった故・日野原重明(ひのはら しげあき) 先生を始め、錚々たる先輩方に相談をして財団設立に取り掛かったのです。


―名のある素晴らしい先生方がこの財団の立ち上げに携わられたのですね。


はい。そうして1983年に野口医学研究所が設立されたのですが、その1年前に私にも相談があったのです。私はその当時、ブリストル・マイヤーズ(アメリカにある抗生物質の世界3大メーカーの1つ)の日本支社で、臨床検査の事業部と化粧品事業部、医薬品事業部の三事業部の内、医薬品事業部以外の2つ、各々約200名規模の事業部長をしていました。
ブリストル・マイヤーズに1973年、31歳の時に入社し、34歳になった時には2つの事業部を任せられていたのです。



熱心な浅倉先生と共に多くの人の尽力により、1983年に野口医学研究所が設立


―34歳!その若さで大企業の部署を統括しながら、さまざまな活動をされていたのですね!


私が39歳になった1982~1983年にかけて、前述の先生方の影響を受けながら、1983年の5月にフィラデルフィア市から許可がおり、501(C)3という免税コードをいただいたんです。と同時に、1983年に日本にも財団を創りました。免税コードを取得しなければ日本では寄付活動ができないので、その年の後半から厚生省の健康政策局に出向き、公益法人にすべく活動していましたが、当時、野口英世という人物には賛否両論があり困難を極めました。


しかし、諦めることなく厚生省に通い続け、前述の先生方に加え、今は盟友となっているトーマス・ジェファーソン大学(Thomas Jefferson University:以下TJU)の医学部長であったJoseph S. Gonnella先生(以下:Gonnella先生)が応援して下さったこともあり、1988年に免税財団として日米医学医療交流財団をスタートさせたのです。


―ノーベル賞には9回もノミネートされ、今では伝記で語られるほどの野口英世博士ですが、その生涯についてさまざまなお話を伺っていると波乱万丈の人生ですよね。決して賞賛ばかりではなかったとのことですが、野口英世博士が紙幣になったのはいつでしたか?


2004年です。1983年から始まった苦難の21年でしたよ。ですから紙幣になった時にはガッツポーズでした。厚生省の偏見とは異なり、文部省はきちんと紙幣にしてくれたんです。その時はさすがに嬉しかったですね…。


明日の医学をを支えるもの “患者優先の医療”とは

―さまざまなご苦労がありながらも、医学交流などで実績を重ねてこられた野口医学研究所。
その取り組みで浅野先生が一番大切にしていらっしゃることは何でしょうか?


野口医学研究所の理念は3段階を経て今日に至っているんです。先ず第1段階はやはり専門知識と技術です。ベーシックな“Science in medicine”を大切にしようということで、そのような講習会やセミナーを数多くやってきました。第2段階は、いわゆるGeneral Doctorという、どんな患者さんにも対応できる総合医を育成する方針に変わって行きました。どんな医師でもベーシックを学んでから専門の科に行くわけですから、専門馬鹿になってはいけないのです。そして今、第3段階として、患者優先の医療 “Humanity & Empathy in Medicine”即ち、Compassion of Medicineを重視し、目指すようになったのです。
ある時、こんな事がありました。
TJUの副学長&医学部長であり、私の長年の盟友Joseph S. Gonnella先生が後任として目を掛けている
Charles A. Pohl先生(以下:Pohl先生)が私のところへ電話をしてきて「上野に在る有名なアートミュージアムへ私を案内してくれないか?」と言ってきたのです。


―お医者様がアート?たまたまアートが好きだったのか、何か医学・医術に関係性があるのでしょうか?


彼は「小児科医に必要なアートに関する造詣を養うために、日本のアートミュージアムのマネジメントと話がしたい」と言うわけです。私はおかしいなァと思いながらも「それはart and science in medicineのArtか?」と問うたら、「それもそうだが、art in artsだ」つまり「アートそのものなんだよ」と言うので私は余計に訳が分からなくなりました。更に彼が来日して私に説明してくれたのは、「アメリカでは、医師たる者はアートを見た時に、そのアートが発想され完成するまでのプロセスと歴史と軌跡をちゃんとトレースできる精神が必要。つまりアートを理解できない者に医者は務まらないんだ」と言ったんです。そして暫くすると、Gonnella先生とPohl先生が「これからTJUは医学・医療知識だとか医術だとか、General Internal Medicine(一般内科)だとかは最終目的ではなく、それらは持っていて当たり前…、これからはCompassionが重要だ」というのです。「共感」とか「思いやり」ですね。さらに“Humanity and Empathy in Medicine”これを以って医師の教育をしていく」こう言うわけです。私は「なるほど!」と、まさに頭をがんっと殴られた気分でした。そして、迷わずこれを野口医学研究所の理念と是とし、今日に至っているんです。


―それがまさに、野口医学研究所が掲げている「患者優先の医療」ですね。


そうです。いわゆる「町のお医者さん」が一番の基礎なんですよ。実際に浅倉先生から聞いた話ですが、小児病院では“小児科医”はみんなジーパンとTシャツで歩いているんです。看護師も全員私服で、CHOPでは一切白衣を着ている人がいない。するとね、5歳くらいのジムっていう少年が、若い先生に「トム!お前に俺が治せるのか?」って言うわけですよ。普通日本の“小児科医”だったら顔色が変わりますよね。そうしたらアメリカでは、トムがジムに向かって「Trust me(信用してよ)」って答えるわけです。なるほどなぁ、と思いました。私にしてみたら驚天動地ですよ。


―アメリカはあくまでも患者中心の医療。いろいろなお話を聞いて、そこが日本の医療とは全く違うと感じました。


全然違います。でも、最近は日本でも「治させてください、あなたの苦しみ、治った時の喜びを私にも半分分け与えてください」という、Compassionを持った人が現れ始めているようです。野口医学研究所は是非そうありたいと思いますし、今、「野口」に関わっている医師は全員理解してくれています。


―野口医学研究所では多くの医学生や医師、看護師、管理栄養士などを支援されていますが、今後どういった医療従事者を育成していきたいですか?


日本では大学の医学部に入学する人達が偏差値だけで選ばれていますが、アメリカでは絶対に面接を経ないと医学部には入れません。アメリカの医師資格試験(United States Medical Licensing Examination: USMLE) のステップ1、ステップ2を合格していても面接で落ちたら絶対にダメなんです。アメリカの大学の医学部は全部AO入学で、人柄やどうやってコミュニケーションを取るかが優先されるんです。日本でも今後はそうした人材が求められていくと思いますね。



2019年、TJUの研究室に米国財団法人野口医学研究所創立者・名誉理事 浅野嘉久博士の名前が刻まれた


今後、医療現場でそうした人材が活躍する姿を見るのが楽しみです。次回、後編は新型コロナウイルス事情や「未病」という症状と対策について、更に、これからの医療に関するお考えを伺います。


【プロフィール】
浅野 嘉久(あさの よしひさ)
1942年生まれ。起業家、生化学・栄養学者。博士号(女子栄養大学保健学・衛生学)。
米国財団法人野口医学研究所創立者、評議員(終身)、名誉理事。一般社団法人野口医学研究所 社員総代。
国際個別化医療学会顧問。米国日本人医師協会会員(JMSA,NY)。
トーマス・ジェファーソン大学教授会メンバー客員教授、ベトナム国立ダラット大学客員教授。